零式艦上戦闘機の4

説明 展示されてる博物館
 52丙型が量産されだした頃、レイテ沖海戦が勃発し初の特攻が行われた事から、
特攻に使用出来る零戦が求められた。(神風特攻隊 神風の読みは『しんぷう』で『かみかぜ』は誤り)
ただし、特攻隊専用機と言う訳でもなく旧式化した99式艦爆の代価(本来は彗星艦爆が有るのだが)の意味もあり、胴体下に爆弾の懸架装置が追加された。
(以前の型を特攻隊に使用する時は現場で改修して装備していた)
52丙型にこの処置をした物を62型、栄31甲型(不調だった水メタノール噴射装置を取り外した物)に変更した物を63型と命名されたが、どちらもA6M7となっている。

 昭和20年4月になり、ようやく念願の金星エンジンを装備した54型が開発され、それまでの装備追加で悪化した性能が回復出来た。
が、終戦までに量産する事は出来なかった。
(堀越二郎氏曰く『54型は昭和18年春までに完成する事は可能だった』との事)

 ちなみに零戦は『格闘戦に強い』と言う零戦信仰が有るが、
低速での旋回性能はダントツだが高速での旋回性能はF6F等の連合軍の新型戦闘機に劣る。
また、三菱 零式艦上戦闘機と言う事から『生産したのは三菱』と言うイメージが有るが、
実際は三菱の生産機が3879機に対して中島飛行機は6215機と中島飛行機の方が多数生産している。


改良型として副座型の練戦、フロートを付けた二式水上戦闘機がある。
練戦と二式水上戦闘機も含めると零式艦上戦闘機は10938機生産された。
(52型以降は5704機)


 零戦は緒戦は長大な航続距離と格闘戦能力とベテランパイロットに拠って無敵神話を生み出したが、
中期以降はパイロット不足から七面鳥状態、末期は特攻機と日本海軍の栄光と滅亡を象徴している様に思われる。
なまじ零戦が初期に戦果を挙げたものだから、格闘戦が時代遅れなのが明白であるにも係わらず後継機にも速度より格闘戦性能を求める結果となった。
しかし、これは零戦の落ち度ではなく、本来冷静な判断を求められるにも係わらず近視眼の多い日本軍将校の問題である。
《例えば二式水戦は飛行場設営の間の制空権を確保する目的で作られた(他にも設営不可の孤島の制空権確保用って目的もあるが)が、先にブルドーザーを開発するのが当然である。
水上機母艦での使用が目的と言うなら解らないでもないが・・・
また、零戦の後継機も陸軍が毎年の如く新鋭機を開発していたのに比べ、海軍は真珠湾攻撃やマレー沖海戦等で航空部隊の威力を知りながらも堀越技師に局地戦と艦上戦闘機の開発を兼任させ、疲労で倒れさせた後は川西航空機が自社開発していた紫電を泥縄的に艦上戦闘機に改良しようとした。
つまり川西が開発していなかったら、終戦までに単発戦闘機は零戦と雷電しか存在しない事になる。
正直な話、マトモに戦争の事を考えていたのか疑問である。》

 陸軍の隼と違い20mm機銃を搭載していたのは先見の明が有ったが、直進性の良い(つまり当て易い)マウザーの物ではなく、直進性の悪いエリコン社製の物で有った事と弾数が少なかった事が惜しまれる。


零式艦上戦闘機62型
全長9.121m 幅11.0m 高さ3.57m 重量2.05t(全備重量3.00t)
武装20mm機銃×2、13mm機銃×3、前の型までの武装+胴体下に250kg爆弾
最大速度 時速541km  航続距離 2960km  生産数 ?機

零式艦上戦闘機54型
全長9.121m 幅11.0m 高さ3.57m 重量2.15t(全備重量3.15t)
零式艦上戦闘機62型と同じ
最大速度 時速563km  航続距離 1900km以上  生産数 2機(試作機のみ)
零式艦上戦闘機21型
河口湖自動車博物館
(飛行館)
注 期間限定公開です。


零式艦上戦闘機32型
名古屋空港
注 移転した。

零式艦上戦闘機52型
靖国神社

航空自衛隊
浜松基地内広報館
『エアパーク』

スミソニアン
航空宇宙博物館

零式艦上戦闘機62型
大和ミュージアム
写真は大和ミュージアムにて撮影した零式艦上戦闘機62型と栄31甲型エンジン
参考にした本
第二次大戦ブックス1 零式艦上戦闘機 日本海軍の栄光
世界の傑作機No.56 零式艦上戦闘機22ー63型

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