三式戦闘機 飛燕

説明 展示されてる博物館
 日本では空冷エンジンが主流であったが、ヨーロッパでは液冷エンジンを搭載した戦闘機が主流という情勢から、陸軍はドイツのDB601エンジンをライセンス生産する事を決め、川崎にてハ40(1100Hp)として量産される事になった。
なお、同エンジンは海軍も愛知航空機で熱田エンジン(彗星艦爆に搭載)としてライセンス生産されており、ライセンス料は二重払いになってる。
ライセンス料は現在の20億円以上で、ヒトラーが何故同じ国でここまで仲が悪いのか疑問に思ったとの話が有るらしい。(国家元帥の我侭で空軍が戦車部隊を所持してる国に言われたくは無いが)

 当時の日本は格闘戦が主流の為に軽戦が好まれたが、欧米の主力機は高速性能に優れた重戦で、現に大戦で活躍しているBf109やスピットファイア、ハリケーン等は重戦だった。
その為に軽戦と重戦の二種を比較する事になり、川崎の土井武夫技師はハ40を使った重戦(KDA−20)と軽戦(KDA−21)の二案を1940年1月に軍に提出、重戦はキ60・軽戦はキ61として試作を命じられた。
当初は両機ともに同時にDB601を搭載して試作を始める予定だったが、ヨーロッパにて大戦が始まった為にDB601エンジンの輸入が止まり、キ60を先に試作を開始してキ61は16年夏完成予定のハ40を装備する事になった。(キ60をキ61の叩き台にする意味も有った)
キ60は20mm砲と12.7mm砲を各二門搭載した重戦として、41年3月に一号機が完成し、同年6月にBf109E、鐘馗と比較審査が行われBf109よりは高性能だったが、鐘馗に格闘戦性能が劣る事から不採用になった。
(重戦のテストなのに格闘戦性能の優劣が採用に関わるってのも変な話だが)

 キ61はキ60を基本に軽戦化したものだが土井技師らの『戦闘機は戦場に現れる全てに勝たねばならない』と言う信念から速度や急降下性能も重視していた。
まず、胴体の高さを110mm減らし冷却機も胴体中央部に移動して空気抵抗を減らし、主翼幅を大きくして運動性の向上も図った。(主翼内に車輪を収納できる様になった)
ただし、武装は軽戦なので12.7mm砲と7.7mm砲各二門(後に12.7mm四門に)になったが、鐘馗も初期型は同武装、隼初期型に至っては7.7mm砲2門のみなので特に軽武装と言う訳ではない。

 キ61は41年12月に完成し、12日に初飛行が行われ高度6000mで時速590kmを記録した。(キ60は高度4500mで時速560km)
社内テストの後に陸軍に送られてテストを行ったが、そこでも高度6000mで時速591km、高度10000mで時速523kmを記録。
Bf109E・キ60との比較でも両機に勝る事が確認され、42年8月に量産第一号機が完成した。
量産命令がスグに出されたが、『三式戦闘機』として正式採用が決まったのは43年6月で、この時点では『飛燕』と言う名称では無く、命名されたのは45年1月16日の朝日新聞でだそうだ。

 武装は12.7mm機関砲(ホー103)を四門装備する予定だったが、数量の不足から初期の量産型一型甲(もしくキ61T甲)は機首に12.7mm機関砲・主翼に7.7mm機銃(89式)をそれぞれ二門装備し、燃料タンクを防火用のゴムで被履し、一型乙(キ61T乙)からは12.7mm機関砲四門装備し、胴体内燃料タンクの除去・防弾装備の追加等がなされた。
しかし、実戦投入の結果12.7mm機関砲四門でも火力不足であると判明した為に翼内機銃をドイツから輸入したMG151 20mm機関砲に変更した一型丙(キ61T丙)が生産及び現地で一型甲・乙より改修された。
MG151は800丁しか無い為に国産の20mm機関砲(ホ5)を搭載する事を要請され、19年1月に20mm機関砲・12.7mm機関砲をそれぞれ二門装備した機体を完成させた。
20mm機関砲(ホ5)はサイズ都合で翼内の装備は無理だったので機首に12.7mm機関砲は翼内に装備し、胴体内の燃料タンクを再装備した上にバランスを整え、一型改《後に一型丁(キ61T丁)》として量産された。

 42年4月にはハ40の出力向上型であるハ140(1500Hp)を搭載した発展型の開発を開始、一型丁と同武装で各部を改修した試作機(キ61U)が43年8月完成したが、エンジン不調の為に試作のみに終わった。
そもそもハ40自体が慣れない液冷エンジンで稼働率が悪いと言うのに、それを更に出力向上したところで上手くいく訳が無い。
しかし、三式戦の改良が不要になった訳でもなく、キ61Uの胴体(エンジンはハ140)に一型丁の主翼を取り付けた型が44年4月に完成し、キ61U改と名付けられた。
高度6000mで時速610km、高度10000mで時速544kmを記録し、三式戦闘機二型として44年9月から量産が開始された。
だが、ハ140の生産不足からエンジン無しの飛燕が工場に並ぶ事になった。
このエンジン無しの機体は後にハ112Uエンジン(空冷エンジン)を装備した五式戦闘機に生まれ変わる事になる。

 三式戦闘機はニューギニア戦線やフィリピン戦線で使用され、稼動機は高性能機として活躍したが、エンジントラブルや部品不足の為に稼働率が低かった。
DB601エンジンは部品の規格を定めて量産・運用されていたのに、日本では規格すら存在せず(戦前・戦中は工業規格は無い)、熟練工が徴兵される等生産体制が全く不十分であり、しかも日本軍は空冷エンジンを使用した機体が多く整備員が液冷エンジンの取り扱いを知らず、にも拘らず教育やマニュアルの製作を怠ると言った軍のサポートが無い事が稼働率の低下を起こしたと言える。
本土防空戦では部品不足にはならなかったので、それなりに稼動してB−29の撃墜など活躍している。
連合軍のコードネームはトニー(TONY)


三式戦闘機一型乙
全長8.74m 幅12.0m 高さ3.70m 重量2.380t(全備重量3.130t)
武装12.7mm機関砲×4、主翼下に100kg〜250kg爆弾もしく落下増槽×2
 最大速度 時速590km  航続距離 1100km+戦闘20分

三式戦闘機一型丁
全長8.94m 幅12.0m 高さ3.70m 重量2.630t(全備重量3.470t)
武装12.7mm機関砲×2、20mm機関砲×2
主翼下に100kg〜250kg爆弾もしく落下増槽×2
最大速度 時速580km  航続距離 1800km

三式戦闘機二型
全長9.1565m 幅12.0m 高さ3.75m 重量2.855t(全備重量3.825t)
武装12.7mm機関砲×2、20mm機関砲×2
主翼下に30kg〜250kg爆弾もしく落下増槽×2
最大速度 時速610km  航続距離 1600km
飛燕II型改試作機

知覧特攻平和会館
移転済み

かがみがはら
航空宇宙科学博物館
(2018年開館予定)
川崎重工創立120周年記念イベントで展示された飛燕II型改試作17号機(キ61U改)
飛燕II型(キ61U)に搭載予定だったハ140エンジン
左は冷却機のレプリカ、右はDB603エンジンの過給機

写真は知覧特攻平和会館の飛燕(画像の著作権は知覧町役場)
2015年に所有者に返却され現在は移転済み。

画像はスミソニアン航空宇宙博物館のホ520mm機関砲(二門写ってるが、下の砲)
参考にした本
世界の傑作機No.17 陸軍3式戦闘機「飛燕」
第二次大戦 世界の戦闘機

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