Me262 |
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| 説明 | 展示されてる博物館 | ||||||||||
| 1937年ジェットエンジンの開発が開始された事から、航空省からメッサーシュミット社へ『ジェット戦闘機の可能性の検討』を命じられ、1939年1月4日に開発指示が出された。 単発戦闘機でプロペラ機を凌駕するには650kgの推力が必要との計算され、それよりは小型のエンジンを二つ搭載した方が生産性の向上や重量の軽量化が出来ると双発戦闘機を提案した。 この設計案は後のMe262と違い、直線翼(Me262は後退翼)で中翼配置(同じく低翼配置)、主翼半ばへのエンジン装備(同じく吊り下げて装備)、小型、尾輪式(前輪式は生産性に劣るとの事が理由らしい)となっていた。 しかし、搭載予定のエンジンが大型化した事から機体バランスを良くする為に外翼が後退翼に変更され(設計技師も明言してるが後退翼の効果を期待しての物ではない。)、空気抵抗の問題からエンジンの装備方法も吊り下げ式に変更された。 1940年5月15日に原型機の製作案が承認され、製作が開始された。 本来、Me社の開発方針は『小型・軽量』だったが、エンジンが大型化した事から機体の大型化は避けられなかったので、大型化を活かし武装の強化(20mm機関砲3門→30mm機関砲4門)して燃料タンクも増加する事にした。 1941年4月に原型機の初飛行を行っているが、エンジンの開発が遅れていたので替わりに機首にレシプロエンジン(750馬力)を搭載してテストされた為に最大速度は時速420kmに過ぎなかったが操縦性の確認には有効だった。 1942年3月25日にエンジン(BMW003)を装備してのテストが行われたが、低空で左右のエンジンが停止した為にレシプロエンジンで緊急着陸している。 前述のテストで使用したエンジンを装備したままだったのとテストパイロットの技量が優秀だった事が本機を開発中止から救った。 結局、エンジンの不良が発見された為にエンジンがBMW003からJumo004に変更された。 またテスト飛行の結果、それまで後退翼が外翼のみだったのを主翼全体に変更し、尾翼も問題を起こした事から前輪式に等の変更がされた。 (前輪式は以前開発していたMe309の開発経験を活かした) 採用を巡ってHe280と争ったがMe262に軍配が上がっている。 これは『メッサーシュミットの政治力』や『ハインケル社がナチスから嫌われていた』と言う話も有るが、Me262の優秀性を見逃してはならない。 1943年6月2日Me262の量産が決定された。 初期の生産型は戦闘機型のA−1aだったがヒトラーから爆撃機型の開発指示が出され、1944年5月23日に爆撃機型が完成しない事から戦闘機型の生産中止が命じられた。 この事でMe262の生産ラインが混乱したが、この原因は『技術陣が趣味に走って爆撃機型を作らなかったから』との説も有る。 しかし、Me262爆撃機型(A−2a)は命中精度が悪く、搭載量も500kg、操縦性も悪い等問題が多い型だった。 そもそも爆撃機型と言っても戦闘機型の機銃を減らし爆弾装備用のラックと配線を施しただけの物である。 後にA−1aにも爆弾装備を出来る様にした為にA−2aは生産中止になった。 なお、ジェット機はレシプロ機に比べて離陸時の速度上昇率が低い事(様はスピードが出るまで時間が多少掛かる)から離陸時の援護が必要な事やエンジンの寿命が短い(25〜35時間)、降着装置の故障の多発等の問題も有った。 戦争末期に開発された割にバリエーションは豊富で戦闘機型のA−1a(A−1aの中でも偵察機型、武装強化型、悪天候型、対空ロケット弾搭載型が有る)、爆撃機型のA−2a、対爆撃機用のA−3、練習機型(複座)のB−1a、夜戦型のB−1a/U1・B−2aや各種エンジンを搭載した型が存在する。 愛称は戦闘機型は『シュワルベ』、爆撃機型は『シュツルムフォーゲル』 Me262の技術は日本にも供与され、特殊攻撃機菊花の開発に使用された。 全長10.6m 幅12.5m 高さ3.83m 重量6,775t 武装30mm機関砲×4 最大速度 時速868km 航続距離 845km 生産数 不明 |
Me262A−1a コスフォード 王立空軍博物館 ドイツ博物館 (レプリカの可能性も) |
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