ハリケーン(Hurricane)

説明 展示されてる博物館
 1933年、ホーカー社からフューリー戦闘機の単葉機型のプランが提案され、イギリス空軍も装備の近代化を目指していた事からプランが了承された。
当初はゴスホークエンジンを装備し固定脚の戦闘機として開発が開始した。
が、1934年過給機付きのロールスロイスP.V.12エンジン(後のマーリンエンジン)に変更され、テストの結果が良好なために同エンジンを搭載する事が決定した。
同エンジンはゴスホークに比べ寸法・重量が多少増大したため機体の改修も必要となり、結果1934年3月に当初のフューリーと別の戦闘機として設計が開始される事になった。

 この機体にはホーカー社初の単葉戦闘機と言うばかりでなく、内側への『引き込み脚』も採用される事になった。
内側への引き込みは外側への引き込みに比べ、重量が必要になるが主脚の間隔が広いために横転し難いと言う利点が有った。(生産性は外側引き込みの方が良い)
様はバランスが崩れ難いから、多少デコボコの滑走路でも使用可能だった。
開発途中で武装強化(武装を倍の8挺へ)する案が提出されたが、7.7mm(0,303インチ)機銃4挺装備のまま開発は続けられ、1934年9月にはホーカー社の案に基づいて設計される事になり、 1935年には7.7mm機銃8挺装備案及び目標とする性能が提出され、それまでのホーカー社の自社開発から正式プランへと変更され開発が本格化する事になった。

 初の単葉戦闘機と言う事から、機体が単葉機で通常使われる全金属製応力外皮でなく鋼管羽布張り(複葉機に使われてた製法)であり、主翼も羽布張りのものだったが、設計時に予定していたよりも倍の武装を積む必要が有った為に金属製主翼を設計し直した。
また、搭載予定のビッカース社製機銃が性能不足の為にコルト社製機銃改修型を装備する事になったが、ライセンスの問題などから使えず、試作機では替わりにウエイトを積む事になった。
マーリンCエンジンも民間の試験をクリアしてなかったが、国際情勢の悪化からハリケーンの採用が優先され1935年11月3日に初飛行を行った。
初飛行後は機体の小改良が行われたが、テスト飛行の際に主にエンジン関係のトラブルが多発したが、これは新型機開発の常で特に設計が悪かった訳ではない。
1936年6月3日に採用され、6月27日に正式に『ハリケーン』と命名された。

 そして量産開始になったのだが、この時点では羽布張りの主翼での量産開始となり、エンジンも新型のマーリンF(マーリンT)がハリケーンに搭載するべく開発中だった。
だが、更に新型のマーリンG(マーリンU)に変更される事になり、1937年10月にはマーリンGを搭載したハリケーンの量産が開始された。
量産開始後もハリケーンの改良は続き、プロペラを木製から金属製(固定ピッチプロペラ→二速プロペラ→定速プロペラ)へ、エンジンをマーリンVに換装し、試験中だった金属製主翼の採用と改良が施された。
金属製主翼を装備した機体は1939年4月28日から量産が開始され、1940年3月に羽布張り型の生産終了後は金属製主翼装備機のみの生産に切り替えられた。

ハリケーンは開発当初から武装の強化案として20mm機関砲を搭載する事が考慮されていたが速度の低下を懸念して却下されていた。
が、ドイツのフランス侵攻に伴い再度武装の強化が求められた。
だが、この時点では時間が無かった為に急遽7.7mm機銃12挺搭載し、エンジンをマーリン]]を搭載しプロペラを交換したハリケーンMkUが設計された。(最大速度530〜550km)
MkUには機銃の不足から8挺装備のMkUA(1940年9月生産開始)、12挺装備のMkUB(同年11月から生産開始)、20mm機関砲を4門装備したMkUC(1941年5月以降)とMkUD型がある。
MkUA型の途中から主翼下に増槽もしくは500ポンド爆弾を装備出来る様に変更され『ハリボマー』と呼ばれた。

 MkUD型は戦闘機としては限界のハリケーンを対地戦闘用に特化した型で、40mm機関砲と7.7mm機銃を各2門装備した対戦車襲撃機として42年6月にアフリカ戦線に登場した。
ただし、40mm機関砲をポッド式に装備したのと重量増から最高速度は460kmに低下した。
更に装甲を強化をしエンジンを低空用にしたマーリン27(1620馬力)を搭載するなど対地攻撃に特化したハリケーンMk4が生産された。
(ハリケーンMk5も開発されたが、不採用に終わっている)

 バトル・オブ・ブリテン(以下B・of・B)が始まった際にはスピットファイアが登場していたが、イギリス空軍(RAF)の数的な主力はハリケーンだった。(開始時点でスピット321機に対しハリケーンは527機)
ハリケーンではドイツ空軍の主力機であるBf109に対抗する事は難しかったが、レーダーによる探知と航空管制+主にBf109の相手をスピットファイアが担当し、ハリケーンは爆撃機の攻撃をする事により効果的な迎撃を行なった。
またハリケーンはスピットファイアより生産が容易な事から大量生産が行なわれ、大陸やB・of・Bでの損失を塞ぐのが早かった。
B・of・Bでは自国上空で戦闘している事からパイロットが脱出しても生還の確立が高く、ベテランパイロットの損失が損害の割に低かった事もハリケーン活躍の要因だろう。
が、少なくとも自国の兵に自爆を強要する国でこれ程活躍出来たとは思えない。
戦闘機としての限界が見えてからは対地攻撃機(主に対戦車用)として転換して活躍している。
ハリケーンは凡庸な性能であったが、ハリケーンに適した運用をする事により活躍の場を得た機体だと言えると思う。

 また、イギリス海軍は長らく軍用機の開発を行っておらず、開戦当初の艦上戦闘機はシーグラディエイター(複葉機)だったが、対独開戦後の輸送船団の被害を食い止める為にハリケーンの艦上戦闘機型が考案された。
ただし、初期は空母に余裕が無かったからか、カタパルトからの発進機能を追加しただけのシーハリケーンMk1A(ハリキャットとも呼ばれる)が作られた。
これには着艦フックが装備されておらず、カタパルト装備の輸送船から発進し、帰還は陸上基地もしくはパラシュートで降りる『使い捨て』の戦闘機であった。
もちろん、後には着艦フック付きのMk1Bが作られ、更に20mm機関砲を4門装備した武装強化型のMk1C、Mk1シリーズは飽く迄『改修』に過ぎなかったのだが新規生産でMk2Cも生産された。

 ハリケーンはイギリス・カナダ・ユーゴスラビア(20機のみ)で生産され14443機完成している。

ハリケーンMk1(初期型)
全長9.55m 幅12.20m 高さ4.07m 重量2.135t(全備重量2.822t)
武装7.7mm機銃×8 最大速度 時速522km  航続距離 845km

ハリケーンMk2B
全長9.81m 幅12.20m 高さ3.98m 重量2.539t(全備重量3.357t)
武装7.7mm機銃×12、胴体下に500lb(ポンド)爆弾×2
最大速度 時速531km  航続距離 748km

ハリケーンMk2C
全長9.81m 幅12.20m 高さ3.98m 重量2.568t(全備重量3.425t)
武装20mm機関砲×4、胴体下に500lb(ポンド)爆弾×2
最大速度 時速531km  航続距離 740km
ハリケーン

帝国戦争博物館別館
ダックスフォード

王立空軍博物館


ハリケーンMkUc

コスフォード
王立空軍博物館

航空宇宙博物館別館
写真はダックスフォードにて撮影したハリケーン 写真はコスフォードにて撮影したハリケーンUc
参考にした本
世界の傑作機No.28 ホーカー・ハリケーン

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