T-34中戦車

ソビエトは第二次大戦初期に当時最強の戦車を所持していた。
が、スターリンの粛清に因る有能な将兵の不足や無線機の不足等で独ソ戦開幕時は苦戦を強いられた。
しかし大戦中期以降、将兵の錬度が上がってからは『アメリカからの援助物資』が多量に届いた事と相まって、ドイツ軍を殲滅していった。
説明 展示されてる博物館
 スペイン内戦での戦訓(ソ連は共和国軍に義勇軍を送っていた)から、当時の主力戦車T−26やBT−5の装甲の不足が明らかになった。
そこで新型戦車の開発が始まったのだが、プランが三種作られた。
一つは76mm砲と機銃砲塔を2つ持つ多砲塔戦車。(却下された)
もう一つは45mm砲を搭載し、装甲を強化した戦車。
この車両は試作車まで作られたが、生産はされなかった。
残りのプランがハリコフ機関車工場にて作られていた『BT−5の改良型』(A−20)である。
しかし、技師達が粛清され主任技師が代わった事からそれまで20mmの装甲を32mmに増加し、主砲もそれまでの45mm砲から短砲身76.2mm砲に変更したA−32が作られた。

 1939年A−20とA−32の比較調査でA−32の方が優秀な事からA−32が採用され、名前もT−34と決定した。
しかし、軍上層部の無理解から独ソ戦開幕時は967輌しか配備されておらず、かつバラバラに配備されおり、更に鉄甲弾の生産数が少なく、将兵も粛清の影響で無能揃いと訓練不足だった為に大苦戦する事になった。
(配備後も弾無しってのが結構有ったらしい)
ただし、ドイツ軍にT−34と互角に戦える戦車は無く、高射砲もしくは航空機を使っての撃破が多い。(V号戦車が『20mで撃っても弾かれた』との記述が有る)

 1941年からは長砲身76.2mm砲を搭載し、大量に生産出来るように工数の削減も行い、1942年には装甲を増した大型砲塔が採用され、1943年には全ての生産車両に無線機が配備される等度々改良されていった。
しかも後にパンターやティーガーTが登場した後にはT−34の砲塔を変更し、主砲等を強化したT−34−85が作られている。

ちなみにT−34は同じ年度に作られた車両でも、工場によって微妙に形が違う。
その為に型番の名称がよく解らない。
(と言うか、専門書ですら著者によって名称が違う事が多々有る)

 T−34は他国の戦車と比べ、装甲や攻撃力・機動力の面は圧倒していたが、無線の不足・居住性・操縦性の悪さ・乗員の過剰労働(乗員が少ないから)等、多々問題も有った。
しかし、その圧倒的な強さからドイツ軍に多大な衝撃を与え、W号戦車長砲身型やパンターの開発が始まることになった。(ティーガーTにも影響が有ったが、開発自体は既に始まっていた)
特にT−34との遭遇以前に開発されたW号戦車(+ティーガーT)までのドイツ戦車には傾斜装甲の概念が無く垂直装甲だったが、T−34の出現以降に開発されたパンターやティーガーUには傾斜装甲が採用される事になった。

派生型にOT−34火炎放射戦車や前方にローラーを所持したPT−34地雷除去戦車や戦車回収車、T−34の車体に固定式に122mm榴弾砲を装備したSUー122、SU−85駆逐戦車が有る。

全長5.92m 幅3.0m 高さ2.45m 重量26t 最大装甲45mm 
最大速度 時速55km 生産数 35120輌(ライセンス生産含む)
T−34
ソミュール戦車博物館

ムンスター戦車博物館

アバディーン戦車博物館

アバディーン戦車博物館のT-34

写真はムンスター戦車博物館にて撮影したT-34

ソミュール戦車博物館にて撮影したT-34
砲身はパチモン(肉厚が薄過ぎる)、車体前面のハッチもパチモンだと思われる。
参考にした本
オスプレイミリタリーシリーズ  T−34−76
T−34の模型販売
1/35 T34−76戦車 チェリヤビンスク
1/35 T−34−76(43年型)

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