KVー1重戦車

説明 展示されてる博物館
 スペイン内戦での戦訓(ソ連は共和国軍に義勇軍を送っていた)から、『対戦車砲(当時は37mm砲が主)を無力化する装甲』を持った戦車の要求が出されて開発が始まった。
当初の開発要求は『T−35と同様の5砲塔を持った多砲塔戦車』だったが、開発者から異議(銃塔は飾りです)が出て主砲塔一基(76.2mm砲装備)と副砲塔二基(45mm砲装備)の多砲塔戦車に要求は改められた。
その要求通りにT−100とSMK(セルゲイ・M・キーロフって故人の名前の略)が作られた。

 しかし、スターリンが多砲塔戦車を批判した事から、T−100・SMKの両戦車は砲塔を一基減らした多砲塔戦車として製作は続けられた。
またこの事から、新たに主砲塔のみ搭載したKVの製作が始まった。
結果、T−100・SMKに比べて軽量であるのに重装甲と言う矛盾した物が完成し、比較テストやフィンランド戦の戦訓からKVが採用された。
(KVは国防人民委員クリメント・ヴォロシロフ元帥の略)

 当初主砲は30.5口径76.2mm砲を搭載していたが、39口径、41.5口径と長砲身化されていった。
装甲も35mm増加装甲を装備したKV−1Eや、1942年には装甲厚を増して鋳造砲塔に変更、同年中にさらに車体・砲塔を重装甲になっていった。
しかし、重装甲化に伴って重量も増し、機動性の低下や破損が増加したため、装甲を減らして軽量化したKV−1Sが1942年夏より生産された。

 KV−1はその重装甲から、対ドイツ戦の開始当初は防御戦闘に威力を発揮(正面からの撃破はまず無理)したが、ソビエト軍の反撃が始まるに連れて『T−34より遅い・足回りが破損しやすい・火力は同じ』等の非難が高まっていった。
その為にT−34とKV−1を別個に配備するようになった。
しかし、軽装甲のKV−1Sの配備直後からドイツ軍にTigerTが配備された為、また重装甲が求められる事になった。
結果、KV−1をベースにしたスターリン重戦車(JS−1)の開発が終わるまでの繋ぎとして、スターリン重戦車の砲塔(85mm砲を装備)を装備したKV−85が生産されたが、スターリン重戦車の配備が進むに連れて切り替えられていった。

 ちなみにKV−1もT−34と同じく、軍上層部の無理解から対ドイツ戦の開始当初は弾薬不足に祟られた。(砲弾の搭載が0ってのも多数有ったらしい)

派生型に『フィンランド戦の戦訓』から陣地突破用に大型砲塔に152mm榴弾砲を搭載したKV−2や主砲を45mm砲にして砲塔に火炎放射器を搭載したKV−8火炎放射戦車が有る。
なお、KV−2はリトアニアにてたった一台でドイツ軍一個師団の進撃を48時間に渡って食い止めた逸話が有名である。

全長5.92m 幅3.0m 高さ2.45m 重量26t 最大装甲45mm 
最大速度 時速55km 生産数 35120輌(ライセンス生産含む)
KVー1
ソミュール戦車博物館

ボービントン戦車博物館

アバディーン戦車博物館

写真左はソミュール戦車博物館にて撮影             写真右はボービントン戦車博物館にて撮影


アバディーン戦車博物館のKV−1
参考にした本
オスプレイミリタリーシリーズ KV−1&KV−2重戦車
KV-1重戦車の模型販売
1/35 KV−1B
1/35 KV−1C
1/35 KV−2
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