I.S重戦車(スターリン重戦車) Jpsef Stalin Heavy Tank

 ソビエトは当初、中戦車と重戦車を同部隊に配備していた。
しかし、中戦車と重戦車の攻撃力に差が無く、機動力・整備性の悪さから重戦車は軽視されていった。
が、ドイツがティーガー・パンター等を配備した後は再び重装甲・大火力が求められて重戦車の開発が再開され、結果ドイツを押し潰していく事になる
説明 展示されてる博物館
 1942年、それまでの戦訓から中戦車(T−34)と重戦車(KV−1)の共同運用には問題が有り、『そこまで重装甲が必要無いのでは?』との疑問が出てきた。
それに伴ってKV−1の生産を縮小してT−34/76の生産に振り分けられ、KV−1も装甲を減らして軽量化したKV−1Sが生産される事になった。

 しかし、ドイツ軍がティーガーT・パンター中戦車の投入した事から、重装甲の必要性が出てきた。
ティーガーT・パンター中戦車共に生産数が少なく、配備数が少なかった事(パンターは初期不良で稼動数が少なかったって事も有る)からT−34とKV−1の数で押し潰せたが、一対一の戦闘では撃破不能な性能差があった。

 1943年1月にティーガーTが捕獲された事からKV−1改良型の開発が始まった。
当時、クリメント・ヴォロシロフ元帥が解任されていた事から、戦車の名称は政治的な理由で『イオーシフ・スターリン』(ローマ字での略称はI.SもしくJ.S)と名付けられた。
ティーガーTの実弾射撃の結果、122mm砲もしくは85mm砲が有効だった事から85mm砲を搭載する事が決定し、それまでに開発されていたKV改良型を更に修正した車体に搭載する事になった。
またJ.S重戦車の開発が終わるまでの繋ぎとして、『KV−1SにI.S重戦車の砲塔を搭載した戦車』が開発されて、KV−85と命名された。

 I.S重戦車が開発終了しI.S−85と命名されたが、T−34にも85mm砲を搭載する案が出された事からI.S重戦車の主砲の換装が決まった。(85mm砲ではティーガーTの射程外からの射撃では撃破出来ないって事も決定の原因である)
当初は100mm砲も候補に上がったが、弾薬の備蓄の現状から122mm砲が主砲に選ばれ、1944年1月よりI.S−122の名称で生産された。
しかし、搭載主砲を秘匿する意味でI.S−85はI.S−1にI.S−122はI.S−2に名称が変更された。
1944年には生産性・耐久性向上、重機銃の追加等の改良をした型が開発され、1944年型として生産された。
この型をI.S−2mと呼ぶ事も有るが、ポーランドの戦車研究家が便宜的に付けた名称であって、ソビエトの公式名称は『1944年型』である。
(ご隠居は面倒だからI.S−2mって方を使ってるけど)

 ちなみにI.S−2はパンター中戦車と同等の重量であるにも関わらず、一方的に撃破出来る性能を有しているが、I.S−2小型で装甲を厚くした替わりに内部容積が狭く予備の弾薬の搭載量が少ないと言う欠点もある。
その為に以降のソビエト戦車兵は背の低い小柄な兵隊が選ばれる様になった。

 大戦終了直前に車体正面装甲の傾斜角を変更して半球状砲塔を装備したI.S−3、大戦終了後に装甲・エンジンを強化したI.S−4、I.S−8(スターリン死後はT−10と改名)が量産されたが、1960年にフルシチョフが『重戦車の生産終了』を命令し生産終了した。

派生型にISU−152重突撃砲やISUー122重突撃砲、406mm砲を搭載した2A3自走砲、核砲撃も可能な420mm迫撃砲を搭載した2B1自走砲、スカッドミサイル等のミサイル運搬車両等が有る。
(試作車輌には対核戦車も有り、ロシアの博物館に展示されている)

戦後も中国・北朝鮮・キューバ等の共産国や中東諸国で使用されており、最近まで世界各地で使われた。
(今でもシベリアなどでトーチカとして使われている可能性が高いらしい)

全長8.15m 幅3.0m 高さ2.60m 重量32t 最大装甲90mm 
最大速度 時速55km 生産数 48950輌(ライセンス生産含む)
Is-2
担克博物館(北京)

I.S−2m
ダックスフォード
帝国戦争博物館別館

I.S−3
アバディーン戦車博物館

担克博物館(北京郊外)のI.s−2スターリン重戦車

写真左はダックスフォード帝国戦争博物館別館のI.S−2m その他三枚はアバディーン戦車博物館のI.S−3
参考にした本
オスプレイミリタリーシリーズ IS−2スターリン重戦車
スターリン重戦車の模型販売
1/35 IS−3 スターリン重戦車

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