八九式中戦車(Type 89 Middle Tank)

説明 展示されてる博物館
 1918年夏に日本陸軍はイギリスのマークW戦車(菱形戦車)を購入。
1919・20年には同じくイギリス製のホイペット、フランス製のルノーFTを購入し、タンクの研究が始まった。
当時は『戦車』と言う言葉が無く、22年頃に『戦う自動車から戦車と名付けては』と言われて決まったらしい。
1923・4年頃になるとタンク無用論が論議(大和魂云々とかも有り)され研究費も削減されたが、軍縮による人員削減の代わりに陸軍科学研究所と戦車隊が創設される事になった。
だが、当時日本の保有車輌は少なく国内の技術力も低い事から外国の車輌を購入する事になった。
しかし、イギリスでの交渉は日本が購入を申し込んだヴィッカース製の車輌はイギリス軍に採用された為に輸出許可が降りず不採用のヴィッカーズMkCを発注し、フランスは大戦時のルノーFTしかなかったので『外国製の中古より国産戦車を開発すべき』と1926年に開発命令が出された。

会計の都合(お役所と同じ・・・ってか軍もお役所の一種だが)で1年9ヶ月内の開発期間に限られ、モックアップを製作し検討した後に大阪工廠に発注。
大阪工廠は大型の工作機械が無かった為に民間会社の協力の下、期日内の1926年2月に完成した。
(武装は57mm砲一門と7.7mm機銃2挺、重量18t、時速20km)

 この車輌は試製一号戦車と呼ばれ、富士裾野のテストで好成績だったがフィリピンや大陸など今後予想される戦場の道路事情や国内の鉄道輸送力の制限、港湾施設の能力不足等に因り、この車輌を10トン程度に軽量化した軽戦車を開発する事になった。
当時は車両用のエンジンが無かったので航空機用ガゾリンエンジン(118馬力)を搭載し、砲塔には57mm戦車砲と6.5mm機銃(斜め後ろに装備)、車体前面に6.5mm機銃を装備し、最大装甲17mm重量9.8トンの軽戦車として昭和4年4月に試作車が完成、『八九式軽戦車』と命名された。
しかし、尾橇の追加等を行った為に重量が11.5トンに増大した為に八九式中戦車と改められた。
ちなみに戦車砲を57mmとした理由はイギリスが初めて作った戦車が搭載していたのが57mm砲だから、とりあえずそれを搭載しようって程度だったらしい。
(更にイギリスが57mm砲を搭載した理由は海軍で余ってたからだって)
八九式中戦車は大阪工廠と三菱重工大井工場にて生産された。
生産量が少なかったのでルノーNC軽戦車も輸入されたが八九式中戦車より故障頻発し、国産の優秀さが証明された為に以後は国産開発される事になった。

 昭和7年2月に起きた第一次上海事変でガソリンを伝わって八九式中戦車が炎上した事や、以前に購入したヴィッカーズMkCも試験運転でバックファイアが引火した事、満州での使用を考えて引火し難く冷却水の不要な空冷式ディーゼルエンジンを開発する事になった。
昭和8年三菱重工にて完成し、試験の結果昭和10年に採用され八九式中戦車に搭載する事になった。
その為ガソリンエンジン搭載車輌は八九式中戦車甲型、ディーゼルエンジン搭載型は同じく乙型と区別する事になった。
甲型は278輌、乙型は126輌生産された。

主に日中戦争に使用されたが、ノモンハン事件やフィリピン攻略戦にも投入された。


八九式中戦車乙型
全長 5.75m   幅 2.18m 重量 12.1t  最大速度 時速25km 最大装甲17mm
八九式中戦車 乙型

アバディーン戦車博物館

土浦武器学校
アバディーン戦車博物館の八九式中戦車 乙
土浦武器学校の八九式中戦車 乙
アバディーン戦車博物館のマークW(左)とパットン戦車博物館のルノーFT(右)
参考にした本
別冊歴史読本 戦記シリーズ57『日本陸軍兵器』
歴史群像 太平洋戦史シリーズ25 陸軍機甲部隊
光人社NF文庫 『機甲入門』 機械化部隊徹底研究等
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