W号戦車


PzKpfwW(W号戦車A型〜F型はSd Kfz 161、G型は Sd Kfz 161/1、H/J型はSd Kfz 161/2)
説明 展示されてる博物館
 ドイツ軍の再軍備計画はグデーリアン中佐の提案に基づき、大口径砲を装備した支援戦車と対戦車用の二種で機甲師団を編制する事になった。
当時はベルサイユ条約にて制限されていたので開発を秘匿する為に前者をBW(大隊指揮車輌)、後者をZW(小隊長車)と偽装された。
W号戦車は前者であり、火力支援用の戦車として開発された。
火力支援が主任務なので初期型では短砲身75mm砲を搭載しており、対戦車戦闘ではV号戦車に劣った。
ただし、砲塔バスケット方式(砲塔から床が吊り下げになってる)を採用し、乗員も多く他国の車輌と違い車長は車輌指揮に専念出来る事と余裕の有る設計の為に後に主砲を換装して対戦車任務の主力戦車となっていった。

 W号戦車A型は1936年に完成したが、C型までは増加試作型と言った感じで改良を繰り返し各型数十輌ずつしか生産されていず、D型からが量産型と言える。
D型生産開始直前(開始は39年10月)には第二次大戦が開始され、1940年6月以降それまでの戦訓から増加装甲を取り付けられるようになった。
1940年9月にはE型が生産され始めたが、E型は足回り等多数改良を行ったが、装甲に関しては増加装甲のままで抜本的な改善は次のF型で、増加装甲から一枚板の装甲に変えられた。
(二枚の鉄板で装甲を作るより、一枚板の方が硬い)

 1940年の対フランス戦でフランスのB1bisやイギリスのマチルダ1・2に対抗出来なかった事から、1941年2月にヒトラーの命令で60口径5cm砲を搭載した車輌が開始され、同年4月20日のヒトラーの誕生日のデモンストレーションの為に製作された。
この車輌は量産される予定だったが取り消され、長口径の75mm砲を搭載する事になった。
当初は威力に勝るクルップ社製7・5cm40口径砲を設計していたが、ドイツ国防軍の『砲は車体前端を超えない様に』との規定から、33口径砲の開発が始まった。(勿論、威力は劣る)
後に34・5口径砲が完成したが、開発期間中に対ソ戦が始まりT−34やKV−1に遭遇し苦戦した事から、遠距離からこれらを撃破可能な砲が求められた。
その為に7・5cm43口径砲が開発され、F型に搭載される事になった。
この型の名称はW号戦車F型改→W号戦車F2型と呼ばれたが、1942年7月に長口径砲を搭載した型はG型と呼ぶ事が決まった。(以前はF2型で広まってたが、最近判明したみたい)
アフリカ戦線で対戦したイギリスではマークWスペシャルと呼ばれた。
初期のG型は43口径75mm砲でシングルバッフル式のマズルブレーキ装備していたが、生産途中でダブルチェンバー式のマズルブレーキに変わり、1943年4月には48口径砲に換えられた。
また装甲も生産中に車体及び戦闘室前面に30mm装甲(溶接→ボルト止め)を追加。
43年4月には対戦車ライフルを防御する為にシュルツェンが装備された。
流体変速機を装備した車輌が作られたが、一輌のみの製作で終わった。

 1943年5月からは天面装甲を前部16mm・後部25mmに増し、足回りを改良したH型の生産が始まり、生産中には車体前面及び戦闘室前面を一枚板の装甲(厚さは80mm)に換えられ、ツィンメリットコーティング(磁気を通さない物質で出来ていて磁気吸着地雷の付着を防ぐ)が施される等改良が行われた。
が、このツィンメリットコーティングはドイツ軍が磁気吸着地雷を開発した事から塗布をしたのだが、連合軍は磁気吸着地雷を使わなかった為にJ型生産中の44年9月には塗布を中止した。
なお、パンター戦車の生産が始まった事からW号戦車の生産中止し駆逐戦車の生産に変更する事も論議されたが、グデーリアン将軍(機甲兵総監)の『パンターの生産は順調ではなく、生産中止すると新規生産はティーガーTのみになる』との意見により生産は続けられる事になった。

 44年5月からは最後の生産型であるJ型の生産が開始された。
J型は電動式の旋回装置を廃止し、電力を供給する補助発電機も取り外した簡易量産型である。
電動式の旋回装置の替わりに二段式の手動旋回装置に改良されている。
44年9月には資材を節約するために車体側面のシュルツェンが金網状の物に換えられた。
生産は終戦まで続けられた。
V号戦車とW号戦車の部品を共通化したV/W号戦車が作られたが、戦車としては作られずナスホルン(ホルニッセ)及びフンメルのベース車体として使われた。
同じくパンターの砲塔を搭載する試験も行われたが重量過大で却下された。

 W号戦車はドイツでは終戦まで活躍を続け、フィンランド・ルーマニア・ブルガリア・ハンガリー等の同盟軍にも配備された。
皮肉にも後に連合国側に付いて対ドイツ戦に使用した国も有る。
戦後も各国で使用され、シリアでは第三次中東戦争まで使用された。

 派生車輌にはイギリス本土上陸(アシカ作戦)用に作られた潜水戦車(後にソ連戦で使われた)・W号突撃砲(W号戦車の車体にV号突撃砲の上部をくっつけた物 StuGW)・支援戦車ブルムベア(StuPzW)・W号駆逐戦車(JagdPzW)・連合国軍の航空機対策の対空戦車としてメーベルワーゲン・ヴィルベルウィンド・オストウィンド(3つともFlakPzW)、本格的な対空戦車として終戦時に開発中だったクーゲルブリッツ等多種存在する。


W号戦車 全長 5.87から7.015m   幅 2.83から3.33m 
       重量 17.3から26t  最大速度 時速30から42km 生産数 約8500輌
W号戦車D型
アバディーン戦車博物館
(移転済み)


W号戦車D型
(長砲身砲搭載型)
ボービントン戦車博物館

W号戦車G型
(以前の名称ではF2型)
アバディーン戦車博物館
(移転済み)


W号戦車G型
ムンスター戦車博物館

W号戦車G型
(流体変速機装備)
アバディーン戦車博物館
(移転済み)

W号戦車J型
ソミュール戦車博物館
ジンスハイム交通技術博物館
ブリュッセル
王立軍事博物館

画像はダックスフォード帝国戦争博物館別館にて撮影したW号戦車初期型

画像はアバディーン戦車博物館にて撮影したW号戦車D型

画像はボービントン戦車博物館にて撮影したW号戦車D型現地改修型(砲を長口径に交換。名称はG型って事になると思う)

画像はアバディーン戦車博物館にて撮影したW号戦車G型(以前の名称ではF2型)

画像はムンスター戦車博物館にて撮影したW号戦車G型

画像はアバディーン戦車博物館にて撮影したW号戦車G型流体変速機装備型

画像はソミュール戦車博物館にて撮影したW号戦車J型

画像はブリュッセル王立軍事博物館にて撮影したW号戦車J型

画像はジンスハイム交通技術博物館にて撮影したW号戦車J型

マズルブレーキの形状

左よりW号戦車G型初期に装備されたシングルバッフル式(球状)、同じくG型のダブルバッフル式、61式戦車のT字型
61式戦車のT字型が一番見慣れてて、マズルブレーキ=T字型って感が有るな。
参考にした本
ジャーマンタンクス(大日本絵画)
ビジュアルガイド WWU戦車1 電撃戦(株式会社光栄)
ビジュアルガイド WWU戦車2 東部戦線(株式会社光栄)
オスプレイミリタリーシリーズ 世界の戦車12 W号中戦車
オスプレイミリタリーシリーズ 世界の戦車25 W号中戦車G/H/J型
ドイツ戦車発達史―戦車ものしり大百科 (潮書房光人社)
戦車名鑑1939〜45(株式会社光栄)
WWUドイツ軍兵器大図鑑(株式会社グリーンアロー出版社)等
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