U号戦車 PzKpfwU(Sd.Kfz.121、Sd.Kfz.123)

 ドイツ再軍備宣言に伴ってT号戦車の量産が進められたが、同時にT号戦車の非力さ明白となった。
しかし、機甲師団の主力となるべき中戦車の量産は進まず、1934年陸軍兵器局は数量が揃うまでの繋ぎとして重量10t・2cm機関砲を搭載した軽戦車をMAN、クルップ、ヘンシェル社に対しの開発が命じられた。
1935年春に試作車輌が完成し、比較試験の結果MAN社の車輌が選ばれた。
2cm機関砲と7.92mm機銃各一門を搭載し、重量7.6tの軽戦車として完成し、1935年末にLaS100(後のU号戦車a1型)として10輌生産された。
しかし、足回りや小規模な改修が相次ぎ、a2型(15輌)・a3(50輌)・エンジンを交換し車体を延長したb型(25輌)、それまでの型より大き目の転輪を装備したc型(25輌)と少数生産をしながら徐々に改修していった。

1937年7月からは初の大量生産型のA型が量産開始し、小規模な改修を行ったB・C型と共に生産が進められ、以降はV・W号戦車に置き換わるべく1940年3月に生産が停止した。
しかし、対ソ戦に向けて機甲師団を増設する為に装甲を最大35mmに増加したF型が1941年3月から生産された・・・が、ソ連戦車に対抗不能な事から、1942年6月には自走砲のシャーシとしてのみの生産が決まり、1942年末に戦車型の生産は停止した。

 1938年、軽機械化師団用の高速戦車として、車体を新規開発しU号戦車と同一の砲塔を搭載したD/E型が生産されたが、性能が思ったより悪く43輌の生産で打ち切られ、後に火炎放射戦車に改良された。
(更に後には火炎放射戦車から対戦車自走砲に改良された)
同時期に時速60kmで車体前面装甲30mm、車体重量9tの軽戦車としてG型が作られたが、要求に満たず12両だけの少数生産に終わった。
更に前面装甲を80mmにしたJ型やG型を改修したH/M型が製作されたが、これも少数生産に終わった。
しかし、偵察用の軽戦車が求められた事から、H/M型の足回りを改修し新型砲塔を搭載したU号戦車L型(ルクス)が1943年9月から生産された。

 U号戦車は大戦初期は中戦車の不足から主力戦車代わりとして使用され、大戦中期以降は偵察車両や自走砲のベース車体として使われた。
《自走榴弾砲ヴェスペ(Wespe)・マーダーU(MarderU)等に改良された。》
他派生車輌は自走重歩兵砲や架橋戦車、工兵戦車、ゼーレーヴェ作戦(イギリス上陸作戦)の為に作られたフロート着脱式の水陸両用戦車がある。


U号戦車(型によって違うので最大と最小を書いてます) 全長 4.38から4.80m
幅 2.14から2.48m 重量 7から16t 最高速度 時速31から60km
最大装甲14.5から80mm
U号戦車F型
ボービントン戦車博物館

U号戦車C型
ソミュール戦車博物館

U号戦車L型(ルクス)
ボービントン戦車博物館
ソミュール戦車博物館
2014年春時点で非展示
画像はソミュール戦車博物館にて撮影したC型
画像はボービントン戦車博物館にて撮影したF型
画像はボービントン戦車博物館にて撮影したL型(ルクス)
参考にした本
ジャーマンタンクス (大日本絵画)
オスプレイミリタリーシリーズ 世界の戦車18 ドイツ軍軽戦車
ドイツ戦車発達史―戦車ものしり大百科 (潮書房光人社)
戦車名鑑1939〜45(株式会社光栄)
WWUドイツ軍兵器大図鑑(株式会社グリーンアロー出版社)等
U号戦車の模型なら

タミヤ1/35 2号戦車

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